ダムに沈んでしまう景色

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ダムに沈んでしまう景色を見ながら自然保護を考えたい

 八ッ場ダムの工事が本格的に始まろうとしています。しかし、予定通りに完成すると思っている人も少ないです。最初の計画からすでに半世紀がたとうとしているからです。しかし、ダムは確実に建設されようとしています。詳しくは、
http://www.ktr.mlit.go.jp/yanba/s3/s3c/s3c.htm
を御覧になってください。ちなみにダム開発の進行状況は、以下のとおりです。




1952年(昭和27年) 建設省が長野原町にダム調査の通知
1953年(昭和28年) 吾妻川上流から酸性水が流出することが分かり計画中断
1964年(昭和39年) 草津町に酸性水を中和する工場が完成、ダム建設問題が再燃
1965年(昭和40年) 建設省が再びダム計画を発表。
長野原町に建設反対期成同盟が結成
1966年(昭和41年) 長野原町議会がダム反対を決議
1974年(昭和49年) 最大水没地区の川原湯反対期成同盟会長が町長に当選
1975年(昭和50年) 建設省が生活再建案を発表するも地元の調整不調
1976年(昭和51年) 閣議が八ッ場ダムを利根川荒川水系水資源開発基本計画組入
清水群馬県知事が一転推進を表明
1980年(昭和55年) 群馬県が長野原町と議会に生活再建案提示
1985年(昭和60年) 長野原町が生活再建案調査研究結果を群馬県に提出
群馬県が調整案を作成
長野原町が要望書18項目と確認事項47項目を群馬県に提出
県と町で覚書交換
群馬県議会も同意
群馬県が建設省に同意回答を提出
1986年(昭和61年) 水源地域対策特別措置法に基づき国の指定ダムとして告示
建設基本計画告示
1987年(昭和62年) 長野原町長と関東地方建設局長が協定書を締結
1988年(昭和63年) 建設省現地調査を開始
1989年(平成元年) 建設省と群馬県が川原畑、林、横壁、長野原、川原湯の5地区に幹線道路、JR線のルート代替地計画を提示
新温泉源開発に成功
1992年(平成4年) 建設省と群馬県が5地区に基本協定
用地補償調査協定を説明
建設省と群馬県が住民の意向を入れて確認
協定書に調印
建設省と群馬県が水没地区代表者に整備計画を提示
1999年(平成11年) 八ッ場ダム水没関係5地区代表補償交渉委員会設立
2000年(平成12年) 補償交渉委員会が、720ヘクタ−ルの交渉対象地の地目認定基準、等級格差案に同意
上信自動車道計画の川原畑工区がダム事業の一環として着工

建設省と合意した当時の町長へのインタビュ−


 首都圏最後の水ガメと言われる八ッ場ダムの反対運動に終止符が打たれ両者が合意に達したがその理由は?


 八ッ場ダムは、約340世帯、1100のすむ家が水没するという他に余り例を見ないほど大きな犠牲を強いられるダム造りです。下流の人達はその水で恩恵を受けるが、水没する人達には寝耳に水で益するところがない。建設計画が発表されて以来、町も強力な反対運動を展開してきた。その中で粘り強く協議を重ね、我々の犠牲について下流1都六県の人達も理解してくれるようになった。(以下略)

ダム反対論者たちの代表的意見

 ダム予定地では、工事用道路の整備が始まり、水没住民の移転補償の交渉が始まろうとしています。しかし、時代は変わり、首都圏の工業・農業用水需要は、下降線をたどり、日本の人口は2007年をピークに減り始めます。飲料水は、ダムがなくても心配ありません。洪水調節も、最近は「川との共生」が主流になりつつあります。遊水地や水田の遊水機能、森林の保水能力を活かし、自然のままの川と、上手に共生していった方がよいのではないでしょうか?

 ダム予定地の川原湯温泉の周辺に営巣するイヌワシ、クマタカなど、環境庁が指定した「絶滅の恐れがある動植物」は66種に及んでいます。これらの動植物が「生きられる自然」を守ることは、生態系の頂点にたつ「人間のいのち」を守ることです。ダムと自然は共生できるのでしょうか?

 アメリカでは、数十年たって老巧化したダムを取り壊し
、サケが溯上できるように、河川を整備しています。川の流れを人工的にせきとめることで、自然と共生できるでしょうか? 私たちは高さ130メートル、堤頂長330メートル、という巨大なダムが、本当に必要かどうか、考えてみるべきだと思います。

 深くて美しい吾妻渓谷を含む豊かな自然を湖底に沈めてしまい、源頼朝ゆかりの歴史ある川原湯温泉が水没させてよいものでしょうか?

 首都圏の水源確保のためのダム計画ですが、計画当時から時間がたち(50年)現在では事情が変わってきています。八ツ場の水は酸性が強い飲料に適さない水です。無理やり中和して利用しますが、石灰で中和された水を本当に都民は必要としているのでしょうか? 中和するのに年間10億円以上かかります。本体工事費だけでも数千億円かかりますが、はたして、そういう工事が必要なのでしょうか?

 ダムは年月がたつと土砂で埋まり機能しなくなります。松井田町裏妙義の仲木川ダム(通称、妙義湖)は建設から50年くらいたっていますが、大量の土砂に埋まって貯水量はわずかとなっています。


群馬読売、'99年11月25日「ダムが次世代へ残すもの」八ツ場ダム本体工事の前に(最終回)より引用

 「何の意味もない」と指摘する。現在、イヌワシは本州から九州までの範囲で、約300羽の生息が推定されている。イヌワシは単に珍しいと言うだけでなく、イヌワシを含めた猛禽類はけものを狩ることでエサをまかなうため、地域自然の総合力を計る指標生物と言われる。つまり、イヌワシの保護は地域自然の総合力を守ることになる。こうした環境を守るため、今年6月に施行されたのが環境アセスメント法だが、八ツ場ダムはそれ以前の計画のため適用外となる。

 同事務所は「すでに環境アセスを完了した」と説明するが、法施行前の環境アセスは「環境破壊の免罪符」と言われており、この地域の環境アセスは不十分と言るだろう。東京工業大学の原料幸彦教授は「環境アセス法の基本理念を考えれば、施行前の事業についても適用すべき」としており、八ツ場ダムを考える会も「法に基づいた環境アセスを実施すべき」と訴える。一度壊れた自然を回復させるのは難しい。本体工事の前に、もう一度、県民が自分自身の問題として考える必要がある。未来へ何を残すのか、今こそ再考を・・・計画から47年。

 すでに工事が進行していることを考えれば、歴史をくつがえすのは難しい。まして、水没地区のほとんどの住民たちは一日も早いダムの完成を願っている。しかし、ダムが自然へ与える悪影響は計り知れない。半世紀で世論も変わった。世界的にダムの在り方が問われている今、様々な観点から必要性を再検討すべき。自然、文化、歴史…。ダムが残す負の遺産はあまりにも大きい。絶滅が危惧されるイヌワシがトキと同じ道を歩んだ時、日本の環境はどうなっているのか。イヌワシ、そして自然を守るのか、それとも人間本意の環境を整えるのか。二つに道は分かれている。「後世に何を残すのか」を考えた時、おのずと答は見えてくるはずだ。

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